銀座ソニービルの思い出
銀座・数寄屋橋の「ソニービル」が
3月末日で閉館となり、来夏に「銀座ソニーパーク」としてオープン予定とか。
会社が、ビルを施工したご縁で、
当時ゼネコンとしては珍しい企業PRのショールームがありました。
私は、1年生の頃、広報部門におりましたので
この展示模様替えも仕事でした。
(一度エレベータで最上階へ行き、そこからワンフロア毎に下りてくるという当時珍しい導線でした)
ビルを設計したのは、芦原義信さん。
駒沢公園体育館や東京芸術劇場などの設計者としても有名です。
私は、このビルに新入社員時代の思い出があります。
本社が銀座にありましたので
独身寮から銀座まで通っていましたが、
数寄屋橋や銀座4丁目のあたりは、越後の田舎町出身の私にとっては別世界。
行き交う女性もみな美しく、
立ち止まって見とれてしまいそうでした。
22歳の1年生が、手元、下働きとは言え
これが仕事になるとは想像も出来ませんでした。
そのショールームで働くアテンダントさんたちは
独身の私にとっては夢のような世界の女性たち。
ときどき本社来るので、部屋がとても華やいだ感じになりました
(いえいえ在席している女性もみないい方でしたが・・・)
ショールームの模様替えは徹夜仕事になります。
閉館してから装飾業者がフロアを養生し、解体。
それから2晩で完全に入れ替えますが、
各作業が終わるまで見ている?のが私の仕事でした。
あの頃は、みんないっしょに旅行とか宴会とか
会社の規模がまだ小さかったのと
社内ではちょっと変わった?部署だったこともあり、まとまりやすかった。
電話機は、いまや博物館的な黒電話でした。
数十もの電話番号を記憶していましたね。いまは自宅とスマホの番号だけしか覚えていません。
数寄屋橋交差点には、残像だけ。
上のような1,2年生のころの写真の中にも確かに私はいるけど、
瞬間的に切り取られた空間と時間の中の私に過ぎません・・・・。
う~ん、こう振り返ると、
自分の存在は客観的にみますと、ほんのわずかな粒子にすぎないなぁ~。
建築物(構造物)のほうが歴史を残していくみたい・・・。
(ソニービル建築概要)
所在地:東京都中央区銀座5-3-1
着工:1964年6月6日 竣工:1966年4月15日
敷地面積:707.27㎡ 建築面積:686.39㎡ 延床面積:8,811.64㎡
高さ:地上31m、塔屋12m、地下 深さ24m
構造:地上部分:鉄骨造、床:デッキプレート、軽量コンクリート
規模:地下5階、地上8階、塔屋3階
設計:芦原建築設計研究所 施工:大成建設(株)
※The Story of Sony Building 1966-1986より
3月末日で閉館となり、来夏に「銀座ソニーパーク」としてオープン予定とか。
会社が、ビルを施工したご縁で、
当時ゼネコンとしては珍しい企業PRのショールームがありました。
私は、1年生の頃、広報部門におりましたので
この展示模様替えも仕事でした。
(一度エレベータで最上階へ行き、そこからワンフロア毎に下りてくるという当時珍しい導線でした)
ビルを設計したのは、芦原義信さん。
駒沢公園体育館や東京芸術劇場などの設計者としても有名です。
私は、このビルに新入社員時代の思い出があります。
本社が銀座にありましたので
独身寮から銀座まで通っていましたが、
数寄屋橋や銀座4丁目のあたりは、越後の田舎町出身の私にとっては別世界。
行き交う女性もみな美しく、
立ち止まって見とれてしまいそうでした。
22歳の1年生が、手元、下働きとは言え
これが仕事になるとは想像も出来ませんでした。
そのショールームで働くアテンダントさんたちは
独身の私にとっては夢のような世界の女性たち。
ときどき本社来るので、部屋がとても華やいだ感じになりました
(いえいえ在席している女性もみないい方でしたが・・・)
ショールームの模様替えは徹夜仕事になります。
閉館してから装飾業者がフロアを養生し、解体。
それから2晩で完全に入れ替えますが、
各作業が終わるまで見ている?のが私の仕事でした。
あの頃は、みんないっしょに旅行とか宴会とか
会社の規模がまだ小さかったのと
社内ではちょっと変わった?部署だったこともあり、まとまりやすかった。
電話機は、いまや博物館的な黒電話でした。
数十もの電話番号を記憶していましたね。いまは自宅とスマホの番号だけしか覚えていません。
数寄屋橋交差点には、残像だけ。
上のような1,2年生のころの写真の中にも確かに私はいるけど、
瞬間的に切り取られた空間と時間の中の私に過ぎません・・・・。
う~ん、こう振り返ると、
自分の存在は客観的にみますと、ほんのわずかな粒子にすぎないなぁ~。
建築物(構造物)のほうが歴史を残していくみたい・・・。
(ソニービル建築概要)
所在地:東京都中央区銀座5-3-1
着工:1964年6月6日 竣工:1966年4月15日
敷地面積:707.27㎡ 建築面積:686.39㎡ 延床面積:8,811.64㎡
高さ:地上31m、塔屋12m、地下 深さ24m
構造:地上部分:鉄骨造、床:デッキプレート、軽量コンクリート
規模:地下5階、地上8階、塔屋3階
設計:芦原建築設計研究所 施工:大成建設(株)
※The Story of Sony Building 1966-1986より
懐かしの時代ですね、この時代は女の方は揃ってミニでしたね、家内もそうでしたね。
by 馬爺 (2017-04-05 09:09)
niceとコメント、ありがとうございました。
あの時代は、本当に全員ミニでしたが、
ツィッギーの影響だと思っていたので不思議感なしでした。
いま考えると大胆!
連れの姿は、思い出せません・・、同じ会社だったのに。
by ちずのこ (2017-04-06 16:36)
ソニービルには、高校の通学定期が使える場所にありましたので、学校帰りに、地下の中古レコード屋に何度か行きました。
by ヨッシーパパ (2017-04-06 18:10)
ぽんちゃん さま
LargeKzOh さま
ビタースイート さま
アルマ さま
みなさん、nice ありがとうございます。
はやり廃れがある中で
あの頃のファッションは強烈でした。
仕事のほうも
我を忘れて、「オー、猛烈!」でした。
by ちずのこ (2017-04-06 21:58)
ヨッシーパパ さま
niceとコメント、ありがとうございました。
いまでもたまに銀座へでかけると
あのビルをのぞきに行っていたので
さみしくなります。
反対側の不二家・みずほ(旧富士銀)や
可愛い数寄屋橋交会社が手がけたので、
大中小の商品見本のようでした。
宝くじ(チャンスセンター)も買いに行きましたが
3千円が最高でした。
いまでも思い出が一杯詰まったエリアです。
by ちずのこ (2017-04-06 22:03)
沒有醫生的處方
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