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田舎の酒屋からのイベント案内

10数年お付き合いのある
田舎の酒屋「かじや」店長宮崎さんから東京でのイベント案内が届きました。

かじやイベント案内1.jpg
かじやイベント案内2.jpg

10月6日(火)12:00~18:00、
翌 7日(水)10:30~15:00
場所は、表参道ヒルズのとなり
「ネオパレス表参道・新潟館」での開催です。

ここで
越後高田近辺で酒造りの職人さんや
酒米栽培農家さんとお話ができ、かつ試飲や販売も。

「かじや」宮崎さんとは
ミュージアム時代ひょんな事から知りあって、
越後高田の「岩の原葡萄園」のワイン「美雪花」や、
清酒「雪中梅」などときどき買わせていただきました。
上京された折は、ミュージアムにもお越しいただいて
田舎の話にいっとき盛り上がりました。

深雪花.png

雪中梅.png

いまは
私、お酒が飲めなくなってしまったので
取り寄せて以前のように味わうことはできませんが、
贈答用としては、お送りできる田舎の味のひとつです。

久しぶりに、表参道に出かけ
このイベント、のぞいて見ようかな・・・・・。


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ハサイダー?

変わったものを見つけました。

長野県大町市のある施設に
スタッフ研修の講師でまいりました。
で、その施設のロビーに貼ってあったポスターと実物。

上原の湯 ハサイダーポスター.jpg
上原の湯ハサイダー瓶.jpg


「ハサイ」という言葉は,私には耳慣れておりまして
漢字で書くと「破砕」となりますが、それに「サイダー」とは?

「ハサイダー」とかけて、「黒四ダム」と解く。
その心は、糸魚川静岡構造線、大破砕帯を貫いたトンエル工事であります。

この地は、
昭和31(1956)年~昭和38(1963)年に建設された
ダムサイトまで約15kmの位置にありますが、
サイダーの名は、トンネル掘削時に遭遇した大出水(大破砕帯)にちなんだもの。

これもいま盛んなご当地サイダーの一つでしょうが、
元建設会社員としては思わず目を引かれてしまいました。
ちなみにこのサイダー、
昨年の大町市の市制60周年を記念して発売されたとか。
味は?ですが、
残念ながらスタッフ研修に時間を取られ、
信濃大町駅前から
長野行きの特急バスに乗るためバタバタいたし、賞味せず。
誠に残念!でした。

チラシによれば
「破砕帯から湧き出す、ミネラル豊富でまろやかな口当たりの天然水を原料に使用。
摂氏4度の清冽な水を、甘さ控えめで爽やかな飲み口のサイダーに仕上げました。」
とあります。

さて、通称「黒四ダム」は、
正式には「関西電力(株)黒部川第四発電所」ともうしまして、
堤体(ダム)ばかり有名ですが、
目に見えない工事がたくさんあります(以下wikipedia)。

第1工区:間組=黒部ダム、取水口、導水トンネル、大町トンネル(現・関電トンネル)、
           御前沢渓流取水工事。
第2工区:鹿島建設=骨材製造工事。
第3工区:熊谷組=関電トンネル、黒部トンネル、導水路トンネル工事。
第4工区:佐藤工業=黒部トンネル、導水路トンネル、調圧水槽、トラムウェイ・ロープウェイ工事。
第5工区:大成建設=水圧鉄管路、インクライン、黒四地下発電所、変電所開閉所、放水路、
              上部軌道トラムウェイ・ロープウェイ工事。

各工区施工各社は、
当時の技術の粋と技術者、作業員のひたむきな努力で取り組み
それが発展期にあった日本の産業と暮らしを支えたわけですので
このダムの名前を
見聞きするたびに忘れてはいけないと私は考えています。

元建設会社員は幾つになってもこのような建設工事に胸躍ります。

学生の頃、この工事を舞台にした小説「黒部の太陽」の著者、
木元正次氏にお手紙を差し上げ、
そのお返事に励まされて建設の道を選んだ私としては、
「ハサイダー」なるネーミングにもググッと親しみを感じてなりません。

通販で取り寄せようかな・・・。

あまり書きすぎると
ゲップが出そうになるでしょうからこの辺で・・・・。

初めて降りた信濃大町駅。
信濃大町駅1.jpg
信濃大町駅2.jpg

待合室内のおそば屋さん(美味しかったです)。
信濃大町駅4.jpg

駅前の長野駅行き特急バス乗り場。
天気は雨、気温15度で寒かった・・・。
信濃大町駅3.jpg


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390mビル計画記事での連れとの会話

先日テレビで
東京駅近くでの新しい超高層ビル計画が報道されていました。
その翌日には、新聞に記事が掲載。
それを読んでの連れとのNever Ending Story 会話です。
日本一のビル(地所)計画記事 20150901.jpg

私 「これ、竣工2027年だってさ。12年後だよ、オレ生きているかな?」

連れ「なんでそんなこと言うの?」

私 「せめて施工業者がどこか見届けたいな?
   竣工はオレ81歳だもの。とても生きていないし・・・」

連れ「そんなこと、あなたと関係ないでしょう。もうT社辞めて何年たつのよ?」

私 「・・・・・・・・」

恥ずかしながら
新婚旅行の時、行く先々(鳥羽、京都ほか)で
「これは当社施工。あれはS建設でその左がKで・・・・」と
著名な建築物を解説しましたので、
その不評は43年経っても連れに言われております。

30年くらい前、
本州四国連絡橋、南北備讃瀬戸大橋を電車で渡るときも
子供達に、「これはね、うち?の会社が造ったんだよ。
橋の高さは200mくらいあるんだ・・・・」と解説したのですが、
マンガ本に夢中で聞いてくれない。
そうこうしているうちに四国へ渡ってしまいました。

連れにはそういう思い出の刷り込みがあるものですから
いまでも建設に関わる話をいたしますと、一緒に盛り上がりません。

それは致し方ないのですが、
やはり人生の半分以上を建設の世界で過ごしますと、
例えOBとなっても
いま注目のオリンピック関連の施設も気になります。

「新国立競技場」の提案締切も年末で、
予算厳守当然で
さらに加えて工期短縮提案があれば、評価も高まるとのこと。

ゼネコンOBとしては、
やはりどう工期を短縮するかに興味が行きます。
現場を支える情熱と知恵、
そして高度な技術力とがベストミックスできると
派手さはなくても、いい仕事ができると信じています。

建設に関わるあらゆる人たちが
この「地図に・・・・・」を一生誇りに思えるようになって欲しいと
願ってやみません。

「一生懸命養生をして、何とか完成まで見届けたいなぁ・・・」
と申しましたら、
連れいわく、「例え完成するまで生きていたとしても、
そのことを理解できる状態になっていればいいのにね・・・」ですと。

このコンビも来年には44年目を迎えます。





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このところ・・・

このところ、
ブログがなかなかアップ出来ません。

途中までを書いているのに、
それらを読み返すと、いまいち・・・・。

で、とうとう
その数7本にもなって、
間が小一ヶ月も空いてしまいました。
こんな事態は初めてです。

下書きのタイトルだけ幾つか。
「デジタル遺産考」、「孫との夏休み 伊豆は暑かったなぁ」、
「食道ガン手術2周年」、「前略 ご両親様」などなど・・・・・。

書けない理由は、ただ一つ。
文章を後から読んで、推敲ばかり重ねておりまして、
これをやり始めると、
いつもの「勢い」?で書けなくなって・・・・。

読まれる方は、
いつも読んでくださる方々や
たまたまキーワードが引っかかって、トップ頁をご覧になる方。

意識しているわけではないのに、
心のどこかに着飾ろうとする私がいたりして、いやんなっちゃう。

このままではいけないと、
本日は、書きかけの要旨を忘れないようにするため
メモ残します。

■「デジタル遺産考」

パソコンを初めて20年以上になります。
DOSの最後、
そしてWindows3.1から95、98、98SE、Me、XP、7と
ずいぶんお金をかけてここまできましたが、
ジャンクファイルも含め膨大な自作データがストックされています。

私が近い将来、
これを整理せぬまま逝ってしまうと困るのは家族。
ハードディスクを初期化するのは、息子に言い残しても、
ネット通販、ネットバンキング、メールなどに関わることは、
最低限記録を残しておかないと家族に迷惑を掛けてしまいます。

それで、
これを「やがて来るその日」前
(痴呆、老衰に陥る前)に整理せねばなりません。
そんなことを考えているうちに、勢いが減速してしまいました。


■「孫との夏休み 伊豆は暑かったなぁ」

8月の上旬に、娘と孫たちとで伊豆へ。

東京駅から「スーパービュー踊り子号」に乗るため、
ネットで切符を予約。
6歳以下でも指定券は必要ですが、
そのための座席確保で乗車券が必要なことを知りました。

一泊二日の旅は、
一言で言えば「暑い!」しかありませんでしたが、
孫たちにはいい夏休みの思い出になったでしょう。

伊豆4.jpg
伊豆3.jpg
伊豆2.jpg
伊豆1.jpg

後日「感謝状」?が届きました。
伊豆6.jpg

■「前略 ご両親様」

終戦記念日の2,3日前でしたか、
新聞で特攻隊員の若者たちが、
父母に宛てた手紙の文面を読む機会がありました。
そこにはこれまで育ててくれた両親への
感謝の言葉が綴られていました。

これを読んだ後、私は急に
4歳の時他界した父と19年前に逝った母に宛てて
手紙を書きたくなりました。

父については、まったく記憶がありません。
母が私に古いアルバムに貼ってある写真を見せながら、
「父ちゃんはね・・・」と擦り込まれたいくつかの知識だけ。

そんな両親に私の近況を知らせたい
(ということは、私も自身の人生の総括をしたくなった?)と
書き始めたのですが、2行目でストップ。

書き出し、
父のことをなんて呼べばいいのか、迷ったからです。

母のことは、
子供の時から「かぁちゃん」だったし、
晩年近くには「ばぁちゃん」と呼んでいましたが、
父を呼んだ覚えが皆無ゆえ、
「とうちゃん」なのか、「おやじ」なのか・・・。

いまは頓挫しましたが、
このテーマは、心残りがあるので必ず書き上げるつもりです。


言い訳がましく、ここまで書いてきましたが、
今夏の酷暑のせいもありました、
と書き加え、今回は終わりといたします。



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気になった数字

NHKの世論調査によると
8月6日や9日が日本に原爆が
広島、長崎に落とされた日と正確に答えられたのは、
全国で3割だったとのこと。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150803/k10010176121000.html

1946(昭和21)年生まれの私は、
このニュースを見たとたん、思わず「うそ~っ!」と
つぶやいてしまいました。

若い頃広島に3年住んでいたということもありますが、
常識的に学校でも教えられているはずだし、
ほとんど知っているものと信じておりましたので・・・・。

現在の広島市([コピーライト]Google)

現在の広島市.jpg

以下引用です。

広島に原爆が投下された日付について聞いたところ、「昭和20年8月6日」と
正しく答えられた人は、広島で69%、長崎で50%、全国で30%でした。
また、長崎に原爆が投下された日付について聞いたところ、「昭和20年8月9日」と
正しく答えられた人は、広島で54%、長崎で59%、全国で26%でした。

辛い思い出ゆえ、
日常的に触れないようにしている結果とは決して思いませんが
どうしたわけなのでしょう?

広島で死者行方不明292,325人,
長崎で165,409人、
計457,734人という数字の大きさ(原爆死没者名簿)に頭を垂れます。
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1283234802275/index.html
http://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3020000/3020100/p002235.html

現在の長崎市([コピーライト]Google)

現在の長崎.jpg

もちろん、
ひとつの調査結果だけで軽々に結論は出せませんが、
70年前たった二つの「新型爆弾」で、
これまで市民らが46万人も亡くなたこと、
また、
「広島や長崎でも原爆投下の事実を知らない人がいるなど、
非常に憂慮すべき事態だ。」、
という広島大学大学院の布川弘教授のコメントにうなずいてしまいます。

当時の翌日の発表(byWikipedia)

「大本営発表(昭和二十年八月七日十五時三十分)

一、昨八月六日広島市は敵B29少数機の攻撃により相当の被害を生じたり
二、敵は右攻撃に新型爆弾を使用せるものの如きも詳細目下調査中なり」

8月6日が広島、
9日が長崎の原爆記念日だということを
そしてその日
ふたつの街で何が起こったのかを、
史実として若い方々に覚えていて欲しいと思いました。


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あれから10年か 「Liverpool Echo」紙

部屋の中を片付けておりましたら、
古いコピーが出てきて思わず手にとって読んだもの。
それは2005年5月19日付の
英国・Liverpoolの地元新聞「Liverpool Echo」19面掲載の記事です。

リバプールEcho紙 Thursday May19 2005.jpg

なんと私の写真入り。
特別展準備のためリバプールに4泊5日したときのものです。

「リバプール エコー」紙の創刊は1879(明治12)年、
紙型はタブロイド判で、発行部数は約63,000部。
リバプールでは一番ポピュラーな新聞です。

国内ではこれまでも
いくつかの媒体に取材を受け、大小掲載されましたが、
ジョンのふるさとで取材を受けたのは初めて。

Liverpool-Echo-20050519.jpg

取材で撮られた写真は、
Johnが育った家Mendipsの入り口の扉の前です。
もう10年が経っているのですね。

同じ場所のこの写真は、閉館後2011年4月に訪れたMendips。

Mendips 201104.jpg

掲載のその日、
新聞の売店を探して街中を歩いたことを思い出しました。
そして同日、
The National Trustや市の観光局ほか関係者と打ち合わせした場所が
まだ開店前のThe Cavern Club (10 Mathew St, )でした。

そこで
ミュージアムの特別展のプレゼンテーションをしようと思ったら
DVDの方式(NTSCとPAL)が違い、大慌て。
仕方ないので持参の小さなVAIOで行ったのですが、
見上げるような5,6人の大男たち?が、
12インチの画面を食い入るように見ていた姿が忘れられません。

これは2011年4月のもの。

キャバーンクラブ 20110429.jpg

時は正確に刻み込まれているのに、
昔を思い出すときは一気にそのシーンに戻れます。
早戻しではなく、
すぐにその時その場所へ飛んでいけるのが面白いですね。

あれから10年、このときはまだ還暦前です。
私は「時の流れに 身を任せ」てはいませんが、
波瀾万丈のスタートは、ここらへんから始まったのかも知れません。



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老いていくのもむずかしい その2 老健施設めぐり

義父母の生活状況変化で
これまで漠然としかイメージしていなかった
これからの暮らしぶりをどう考えるかが俄然現実となってきました。

義母はまだ入院中。
義父は2週間限度のショートスティが終わります。
そのあとどうするか・・・・、がこの10日余りの我が家での最大の問題。

このところ連れと妹がケアマネージャーさんと毎日のように話合い。

その間に、電車で1駅くらいの半径10km範囲で
頑固でわがままな義父が少しでも穏やかに暮らせる場所を、と
数カ所の施設をめぐっています。

できるだけ私も同行していますが、
義父のこともさることながら、私自身の近未来を見るようで
行くたびに結構複雑な思いがしました。

生活的には
特養は負担が軽く選択の第一にはなるものの即入居実現はまず不可能です。
申し込んでも気の遠くなるような順番待ち。
でも介護度が上がったら、
やはり順番待ちのエントリーをしなければなりません。

いままでで幾つか見て歩いたのですが、
それぞれみな雰囲気もスタッフの立ち振る舞い、サービスも違います。

例えばAは、徒歩10分ゆえ近くていいのですが、
規模が30室と小さく、スタッフも少人数でした。
いっしょに何かをやるというスペースも狭く、何だか義父には合わない。
でも、費用は一番安かったです。
どうもつくりが最初から建てられたものではない、という
元ゼンコン社員の目立て?は正しく、
独身寮をリニューアルして老健施設にしたようです。

Bは、隣駅。車でも15分です。
8階建ての施設は、
最初から老健施設として計画され、ゆとりを感じられました。
ただスタッフさんの姿が(時間のせいだったのでしょうが)少なく、
また新しい施設なのに、雰囲気はなぜかくらい・・・。
立て板に水がごとくに説明する男性スタッフさんと雰囲気とのズレ・・・。
でも、
「セール」と称した、ある部屋が少し安かったのは、魅力的でした。

連れと義妹が下見をしたCという施設は、
我が家から徒歩20分ちょっと、車でも10分程度です。
まだオープンして1年くらいなので、すべてが新しい。
収容人数は80人くらいですから中規模なのでしょう。
居室はその施設も大体同じでそう広くはありません。
費用は諸費用込み(部屋代+食事ほか)月額18~23万程度。
幾つかまわった中では、一番高かった・・・。

(イメージ写真)
老健施設イメージ3.jpg
老健施設イメージ2.jpg老健施設イメージ1.jpg

こうして見てまわりますと、
現実問題として月々どの程度かかるか、
また年金等の収入の差で
入れるところが大きく差別化されているかがわかります。

お金持ちは、分譲で数千万円、月払いでも25万以上とか
そうでない我々は、
特養か、見て回ったような中、中の下程度クラスが終の住処になります。

義父にとって何が一番優先されるかといったら
彼の年金と預貯金で月額いくらまで払えるかであり、
広さとか雰囲気とかスタッフの接し方が次の順位になってしまいます。
最後の最後まで、
まず「お金」になってしまう・・・・、これが現実です。

さてさて、
この施設決めを1週間ほどで決めねばなりません。
本人の気持ちを大事にしたい気持ちはあっても、
本人がこの状況をちゃんと認識し納得できる理解力が果たしてあるかどうか・・・。
また、持続して入居可能かどうかの試算も必要です。
それに義母が退院したら、その状況での組み合わせも出てきます。

やがて我が身が直面するであろう問題の
いままっただ中にいることをこのところ実感しています。



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ゲームの世界とジョイントした特別展「戦国図鑑」

お堅い?地元の県立博物館が
ゲームソフト会社・カプコーンと手を結んで繰り広げる
特別展「戦国図鑑」の内覧会を楽しんできました。
戦国図鑑4.jpg

なぜ私が?ですが、
実は去年から
この県立博物館の協議会委員を仰せつかっておりまして、
今日は今年度第1回目の協議会でした。

議題は昨年度と今年度の事業計画についての報告と
質疑応答、県内4館の博物館評価という難しい内容ですが、
お楽しみは、明日から8月30日まで開催される特別展の内覧会。
戦国図鑑チラシ表.jpg
戦国図鑑チラシ裏.jpg

今回の内容は、
戦国歴女にもカプコーンのゲーマーさん達にも満足できるものだと思います。
また、日本甲冑武具県境保存会の協力を得て、
展示室には、
これでもかこれでもかという多数の甲冑が私たちを釘付けにします。
特に兜のデザインはひとつひとつ特徴がありおもしろい・・・。

ミュージアムの館長をしていたころから
この博物館は、県の博物館連絡協議会の事務局がありましたので
よく来ていたところですが、
こんな意表を突く展示内容は初めてでした。

会議中は、
役目上、「先生」と呼ばれる私ですが
一人の見学者として、これほど興味深い内容は久しぶりで
ワクワク感が増してきますし、
何よりもこの特別展を企画した学芸員女史の高揚した表情がとてもステキでした。

ホールに入ると正面に鎮座する伊達政宗騎馬像。
ゲーム世界のキャラクターゆえ、よく見ると???の連続ですが
これがWelcomeと迎えてくれるのがいいですね。

戦国図鑑6.jpg

脇には、いっしょに写真が撮れるこんな場所も。
戦国図鑑5.jpg

竹林を背景にしたこんな展示もあってとても趣があります。
戦国図鑑2.jpg

会議のあとゆえ時間がなくて早足での見学でしたが
会期中にもっと時間をかけて
ゲームと歴史の世界の融合を体験したいと思いました。
戦国図鑑1.jpg

歴史がわかるともっとゲームも楽しめるのではないか、と
ジジさまは感じました。

甲冑が南北朝時代はデザイン優先?から
戦国時代は実用本位でありながらも伝統美を損なっていないのも
新しい発見でした。

■埼玉県立歴史と民俗の博物館ホームページ

http://www.saitama-rekimin.spec.ed.jp/

このところ
食道ガン観察内視鏡、義父のショートステイなど
ちょっと気落ちしていたときでしたので、
今回の特別展内覧会は、とてもいい気持ちの切り替えになりました。

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嫌われたTシャツ

衣替えをして
タンスの入れ替えで出てきた懐かしいTシャツ。
夕方お風呂に入って、袖を通したTシャツに、
連れが一言。

「ねぇ、ねぇそれ去年もう捨てるっていたTシャツでしょう?
いったい何年着ているのよ・・・。襟も袖もへたっているじゃないの?
先日、買ってあげた新しくのに着替えたら?」

KeyWest-Tシャツ.jpg

連れから何年も言われ続けているのに
捨てられないTシャツ。

これは20数年前に
フロリダ州キーウエスト(7 miles bridgeをわたっていくリゾート地)の
カーサ・マリーナ・リゾートで買ったものです。
(あの一直線の海の上の長い長い橋、感激したなぁ)

私としては結構気に入っていて、
毎年衣替えの時期になると取り出すのですが、
連れがいうのも当然で
よく見れば、袖、首回りにほつれあり。

でも捨てきれず、1回だけ袖を通して収納ケースへ。

同じような境遇のTシャツはほかにも
ジョン・レノン・ ミュージアムのものが4枚、
Kennedy Space Centerのが2枚あります。

やはり今夏をもって、「さようなら」なのでありましょうか。

Nobody Knows the Trouble I've Seen


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老いていくのもむずかしい その1 ショートステイ

我が家の近辺にこの2,3年、
雨後の竹の子のごとく有料老人施設が建設されています。
仮オープンしたものの
人手が集まらず、なかなかグランドオープンにはなりません。

自宅前には、
家内の父母が住んでいて、義父91、義母90歳になるので
高齢介護は日常の話題。

そうした中で、
かく言う私めも着実に歳を重ねていくのです。

そんな日々の中から感じたことを思いつくまま・・・。

90歳の義母が腰痛で入院。
ずいぶん前の脊柱管狭窄症術後の影響のようです。
日頃から何か異常が起きると、
すぐに自分から「入院!、入院したい!と言い出すので
私たちは、「また始まった・・・・」と嘆息。

入院と同時に
91歳の義父をとりあえずメドが付くまで
ショートステイ(短期入所生活介護)施設に。

これがまた大騒ぎに・・・・。

いままで、
このような施設を体験したことがない義父は
これまでのすべての時間の流れ方が、全部否定されたようで、
施設スタッフや私たちに強烈なクレーム。
耳が遠いので言い聞かせても聞こえていないそぶり。
これまでも説明した内容も、聞いていないと言うばかり・・・・・。

確かに
自宅にいれば、お昼近くまで寝ていて
食べたいときに食べたいものを口に運び、
テレビを大音量で楽しみながら?、ソファでうたた寝。
ヘルパーさんが週に4日間、身の回りの世話をしてくれます。
それでもまったくに自分のペース。

連れや隣の妹(義妹)が毎日夕ご飯を運んでいくと
義父母たちはお互い自分の居場所からヨロヨロと食卓に集まってくる。
晩に服用する薬を各自に分包し、
食べ終えたころに確認するなど、実の娘たちゆえの接し方。
本当に頭が下がります。

二人とも別々の曜日に別々のデーサービス施設へ。
この数年、時間の流れ方はまったく変わりません。

そうしたリズムが義母の入院で大変化。
義父が戸惑い、不満とストレスが高まっていくのは容易に理解出来ます。

ショートステイ先では
6時には起床、7時に朝食、12時昼食、6時夕食というスケジュールは、
義父の意志や個々の利用者に合わせられませんから、やむを得ません。

先日は朝の6時に
その不満を我が家へ電話してきた義父と
私はなんと40分以上会話(会話にはなっていなかったけど)しました。
(携帯を渡したのが失敗でした)

現役時代、某大化学会社で
経理マンとして数十年すごしてきたことを知っている私には、
何だか悲しいというか実に複雑な思いが残りました。
75,6まではいっしょにゴルフもしていましたので、なおのこと。

どうやら
家庭では頑固でわがままな父親は、
老いるとよほどのことでないと娘たち(連れと妹)から
母親の老化とは違った扱い?を受けるような感じがします。

連れからも
またなんと朝早くから電話してきた義父も
私なら、どんな施設に行ってもすぐに馴染める、と言われました。

自分のこうして欲しいという気持ちを押さえる力が
強いからだと言います。
そんなこと言われても、
私だって将来痴呆が進めば潜在的なワガママが出てくるかも知れません。

今回のショートステイの先は、まだ見えていません。
でも、画一的に対応せざるをえない施設の状況を考えれば、
義父の満足度は低く、
ケアマネージャーと相談して
何とか自宅に連れ帰り、我々がさらなる努力をせざるを得ないのでしょう。

高齢化は喫緊というか
すでに嵐の中に入ったような我が家の問題です。

老いていくのにも、
本人の覚悟とスキルが必要だと思っています。

続く
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「異時・異所」 食道ガン術後の内視鏡検査もはや5度目

半年に1回の食道ガン術後の内視鏡検査も
今回で5度目になりました。

慣れたとは言え、
毎回受付から会計までの時間と空間は実にイヤな感じです。
今回は特に検査後の先生のレクチャーが重かった・・・・。

その前に
呑み込む前の段取りで何か不都合?があったようで、
喉がひりひりとして痛い。
どうやら途中で私がむせて、内視鏡の先端が喉の粘膜をこすったようです。
看護師さんは、しばらくすれば痛みは取れますから、というものの
夜になってもまだ違和感が残る。

夕食にトマトを食べたとき
喉に引っかかりヒリヒリと結構強い刺激がありました。

先生いわく
「術後は、ほらこんなにきれいになっていますよ。
でもここに赤いのモノが見えますよね。
良性だと思うのですが、念のためつまんで病理へまわしました・・・」

これは2年前の夏の術前画像。
ヨードで染まっていないところが「食道扁平上皮癌」の部位です。
食道ガン部位術前.jpg

2年前秋の術後画像。美しい?ですね。
食道ガン部位術後.jpg

それから2週間後の先日。
連れと一緒に検査の結果を聞きに行ってきました。

結果は、
手術箇所以外の食道粘膜内に
一部良好でない部位があるが特にすぐ対処すべき状況ではない、
との内視鏡執刀医でもあったK先生の説明でした。

ひとまず安心ですが、
医師より「異時・異所(いじ・いしょ)」という
見知らぬ言葉で説明を受けました。

食道は250mmあり、
2年前小生は厚さ1mm、幅長さ50mmの内側をえぐり取ったのですが、
その箇所はきれいになっておりました。
ただ、残り200mmは
術前のような生活(飲酒、早食い、ストレス)を続けていると
時と場所(異時・異所)を変え、必ず同じように発症するとのこと。

これについては
お酒はほとんど口にしませんが(帰省したときは飲み過ぎました)、
十分気を遣っているので、まぁ大丈夫だと思っています。
連れが厳しく?管理しておりますので・・・。

ただ改めて食道ガンを調べて見ると、
内視鏡手術、外科的手術を問わず再発率も高く、
また5年の生存率も
平均で53.1%、ステージ別では0期87.0%、I期75.4%、II期58.6%と
決して高くはありません(日本食道学会 2008」。

ゆえに
半年ごとの内視鏡検査は欠かせないということです。
まぁ、上手に生きてもあと10年未満でしょうから
これからも気分転換のつもりで受診していくつもりです。

K先生は、気になることを言いました。
胃がんは、ピロリ菌で発症するということで、
先般受診したとき、ピロリ菌除去の薬を1週間処方されました。
その結果を9月上旬頃検査するのだそうで、その予約をしてきました。

とりあえず、5cm分の食道ガンが一応終息したら、
残り20cmについても「異時・異所」で可能性が・・・・。
その上、今度は胃がん?、
いやはや消化器系の問題はいろいろありますね。


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連れの誕生日、あじさい寺へ

今日は連れの誕生日。
お互いずいぶん歳を取りました。

何かイベントを、と考えたのですが、
午前中は私の通院だし、
都心のホテルのランチでも、と考えたのですが
そこそこ高額、電車で1時間以上・・・・、電車賃もかかる・・・。

そこで、
どこか行ってみたいところは?、と尋ねましたら
「北小金のあじさい寺(本土寺)はしばらく行っていない」と申しますので
二人で出かけました。
電車と歩きで約1時間半、あじさい寺7,8年ぶりの再訪問です。

平日にもかかわらず参拝客は大勢でした。
圧倒的に高齢のご婦人方、それに私たちのような年配の夫婦。
女性のパワーはどこでもすごいです。

あじさい寺1.gif

あじさい寺12.gif

あじさいはまっ盛りでしたが
花はいまいち、やはり水気が足りないような感じでした。
梅雨の季節だからこそ映える花です。

連れのらくらくスマホでの撮影も上手くなりました。
あじさい寺4.gifあじさい寺5.gif

同じ色のように見えても
ひとつひとつの株には微妙な違いの花をつけます。
あじさい寺6.gif


途中に池があり、菖蒲の盛りは過ぎていました。
あじさい寺7.gif

別のところには蓮の花が咲いていましたが、カタチは小ぶりです。
あじさい寺9.gif

境内をぐるりとまわって出口に向かいます。
あじさい寺10.gif

そして最後のカットがこれ。
あじさい寺11.gif

連れの誕生日に、
花を愛でるのも楽しからずや?でありましょうか・・・。

69と67は、端から見たらマジ老夫婦なのでしょうが、
どうも私たちには
そういう認識があまりなく、孫と遊ぶと初めて歳を実感いたします。










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粗大ゴミ 1個310円也

ときどきやってくる不要品回収業者の車。
いつもタイミングが合わず、
もう数ヶ月も出しそびれているものが幾つかありました。

それで市役所の収集業務の窓口に電話して
モノと形状、数量をお話ししたのですが
なんと電話応対の良いこと!
まるでサービス業のようなお姉さまでありました。
私、いま仕事で施設スタッフへマナーの研修講師をしておりますので、
90点差し上げたい応対ぶりでした。

市の粗大ゴミ回収には
1枚310円の「廃棄物処理手数料券」がいりますので
複数枚コンビニに買い行きました。
(以下はHP上の見本画像)

ゴミ処理券.jpg

第1陣は、最近買い替えた
インクジェットプリンターと白黒レーザープリンターの計2台。
前夜に玄関口に運んで、
粗大ゴミ1.jpg
翌朝、家の前に運びました。
粗大ゴミ2.jpg

2日後の第2陣は10数年使っていた居間のソファですが、
最近連れが腰を痛めて、
ここに掛けると起き上がるのが大変になりまして
しばしばクッションを3枚も重ねて使っていましたが、
これでは大変だと買い換えを決意。

カリモクのショールームでのバーゲン情報を見つけて
半日がかりでいろいろ試し、一番安価なものを探しました。
搬入して貰うためには、まず古いものをまず「粗大ゴミ」に。
ソファ持ち出し前.gif

連れと二人で今朝雨にもかかわらずようやく玄関先へ運びました。
外に何とか出すことができ、
粗大ゴミソファ1.jpg
背もたれにシールを貼って、回収を待つばかり。

ソファ粗大ゴミ2.gif

送り出したあとは、
新しいものが届くまで、2日間、変な格好でくつろぐ?ことになりました。

ソファ持ち出しのあと.gif

それにしても
このような大きな粗大ゴミを、
原則1個310円で回収して下さることに感謝、感謝でありました。




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1歳記念スタジオ撮影

息子の子供が1歳になったお祝いに
スタジオで写真撮影をする事になり同伴しました。

本当はビデオ撮りはOKで、写真はダメなのですが、
あまりにも可愛いので、
というよりも1枚の写真を撮るのにいかに大変だったのかを
記憶するために、数枚パチリ。
もちろんカメラマン女史には分からぬように、です。

泣かないように、カメラマンも助手もママもたいへんそう。

優花1歳記念撮影1.jpg

だんだんモデルっぽく?なってきたのか、
カメラマンの要望に応え始めました。
パパ(息子)もビデをカメラをまわします。

優花1歳記念撮影2.jpg

正味45分で大撮影会?は終了しました。

現役時代には
しばしばこのようなスタジオでの撮影に
スポンサー担当者として立ち会ってきましたが、
1歳くらいの子供の撮影は本当に難しいようです。

モデルさんなら、
「はい、あご引いて。もっと遠くを見るような感じで・・・。
いいね、いいね、その調子。今度ははにかんでみようか・・・」などなど
歯の浮くような言葉が飛び交いまして、
またスタジオ内には適当な音楽が流れ・・・・・、ですが
幼児は、言葉が分かりませんから、
撮る方も、撮られる方も難しいですね。

何とか撮り終えて、
その場でカメラマンがいい写真をパパやママに選ばせます。
これが大変。
一式いくらかのセット料金があり、
それにオプションが加わるわけですから、かなりの金額になるはず。

ジジババは口出しせず、
子供を預かってその様子を見ておりました。

私たちの時は写真館で撮るのはめったにないことで、
手元にあるのは私が撮った中途半端なものばかり。
それでも娘や息子の結婚式にはちゃんと使ってもらえました。

私たちの孫たち3人が大きくなったとき、
自分たちの成長の写真というばかりでなく、
両親、祖父母の思い出もいっしょに記憶してもらえるとうれしいなぁ。



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食事の時にお飲み下さい 特保ビールいただきました

先日、新聞で
新製品の全面告知広告が目にとまりました。

製品名は、「SAPPORO+(サッポロ プラス)」。
史上で初めてノンアルコールビールで、特定保健用食品。

「へぇ~、特保のノンアルコールだってさ」との声を発した私でした。

それから2日の夕食時、
連れが「買ってきたわよ」と食卓に置いてくれたのが、これ。

サッポロ+.jpg

「ワオッ~!」

さっそく頂戴しました。

サッポロ+-2.jpg

「食事の時にお飲み下さい」ということは
ちょっと運動して、汗をかいて、
ああ喉が渇いた~っていうときに飲むものじゃない、ということ?

サッポロ+1.jpg

あくまでも
酒を止められていて、血糖値も高く
それでもあのの喉ごしの爽快感が忘れられないひと(私)が
食事をしながらちびりちびり飲む・・・、
そんなビール(もどき)っていうことか?

サッポロ+3.jpg

でも、ノンアルコールで特保だなんて
私にとっては、
たいへん良いこと、Sound is good!であります。




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生の証 誕生日に思うこと

「自分の人生の価値というのは、
自分以外の人間をいかに幸せにしたか」
という文言をちょっと思い出した朝でした。

昨日は私の誕生日。
父よりも20年長生きしています。
母には16年届きません。

60代最後の歳ですが、
恐らく来年古希を迎えても特別な感慨はなく
69が70になるだけなんでしょうね。

幼稚園の頃から
お互い誕生日会をやりプレゼントの交換をしていた友人Tさんから
本をいただきました。

篠田桃紅さんの
「103歳になってわかったこと」(幻冬舎)です。

橘さんからのプレゼント20150524.jpg

以前から手にとって読みたい本でしたので、
これからじっくり読みたいと思います。

Facebookのお友達からたくさん祝辞をいただきました。
リバプールの友人Simonご夫妻からも。
うれしいですね、ミュージアムでのお付き合いがまだ続いていて。

次兄からは、
私が生まれるときの様子を短く書いてもらいました。
2階の階段にすわって、いまかいまかと待っていたんだそうです。
約5歳離れているから、
幼いときの記憶として残っているのでしょう。

自分では、
この69年間のすべてを記憶しているわけではないので、
関わった人たちから、「あの時はね・・・・」と聞かせてもらえたら
どんなにうれしいでしょう。

でも
すべてを記録に残しているわけではないので、
私が覚えていることはほんのわずか・・・。

確かに私がこの世に生まれ、
生を得て、先のことは分からないけど、いつか消えるとき
血筋の縁と、人生の中で知りあった人たちに、わずかでもいいから
私がいた、ということを心に留めて欲しいなぁ~。

それが、私が生きていた証になっているなら、
結構満足して逝けるんじゃないかと思うようになりました。

来年の同じ日は、ジャーン、「古希」でありますぞ。
またまた
unbelievable!とつぶやくのでありましょう・・・・。

老人老いやすく
ただ歩みを振り返るだけ、はイヤだなぁ~。


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孫たちからの誕生日プレゼント

日曜日の午後、
娘と孫二人(幼稚園年長さん+年少さん)が我が家へ。
そして、孫たちから誕生プレゼントをいただきました。

キラキラかがやく袋には何が入っているでしょう?

袋.jpg表紙.jpg

長い屏風のような体裁の各ページには
私や孫たちの写真、イラストがすべての頁に埋め尽くされています。

娘の指導でしょうが、時間がかかったと思います。
娘の書いた私の歳が一歳余計だったマイナスは引いても
なかなかの超大作で感動しました。

プレゼント1web.jpg

見開き1.jpg

見開き3.jpg

プレゼント3web.jpg

孫たちの手作りプレゼントには、本当に感激しました。

娘と孫たちを連れと一緒に家まで送って行ったのですが、
下車駅の本屋さんで、
彼らの好きな雑誌とヒロタのシューアイスを買ってあげました。

うれしい69歳の誕生日の1日でした。
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久しぶりの都心でのコンサート

先日、久しぶりに有楽町・東京フォーラムの大ホールで開催され
たコンサートを連れと楽しみました。

Live-Image-15th.jpg

チケットは連れが生協で手配したものですが、
席はこれまでの最悪?で、最上フロアのかなり後ろ側。
ステージは小さなお弁当箱のようにしか見えません。
それで持って行った双眼鏡が役に立ちました。
でも、LEDの大型スクリーンに時折画像が出るので、まぁまぁ・・・。

image15.jpg

出演者は毎回ほとんど変わりません。
加古隆、小松亮太 with 大貫妙子、 ゴンチチ 、高嶋ちさ子 、
NAOTO 、葉加瀬太郎 、羽毛田丈史、 LE VELVETSでした。
今回初めてLE VELVETS(ル ヴェルヴェッツ)を聴くことができました。
これはテノール3人、バリトン2人の男性5人で構成されているグループですが、
なかなか迫力があって新鮮でした。

葉加瀬太郎さんの演奏のとき
突然1番の弦が切れ、
テレビ収録中なので、もう一度張り替えての演奏など
貴重な体験?をしました。

出演者で連れとときどき見聴きするのは、
高嶋ちさ子さん。
バイオリニストの力よりも
普段着のままのトークと技量のギャップが心地よく
コンサートに行くたびに楽しめます。

元広報マンからの苦情。
葉加瀬太郎さんが登場しての演奏の合間に
彼の口からスポンサー名の連呼は、
スポンサーへの配慮はわかりますが、ちょっと・・・・。
演奏家にとっては、
安定的に演奏の機会がもらえるスポンサーは、
神さまみたいなものなんですが、聴いている人も苦笑だけ。
私がスポンサー側なら、
3回でいいですよ、と言ってしまいます。

このホール、
前に勤めていた会社が施工しておりましたので
工事中に2度ほど見学に行きました。
線路側は、大阪のO組さんの施工です。
こう言うこと書き出すとすぐに建設の話になってしまうので、ここまで。

修了後、ホールの内外をじっと見てしまうのも
職業病かしら・・・。




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自分探しの時間(とき)

前に勤めていた会社のOB会に参加してきました。
会場は、本社にほど近い「ハイアット リージェンシー 東京」。
このホテル1980年に「ホテルセンチュリーハイアット」として開業しましたが
これまで2回名前が変わっています。
(連れは、このホテル身近でして、よくバーゲンが開催され出かけています)。

成友会会場3.jpg

さて、
会社を退社しているのに、なぜ参加するのかというと
次兄に会えるのと、昔いっしょに仕事をした仲間たちと話が出来ること。
ただ懐かしい、というだけでなく、
確かに数十年この会社で働いていた自分の姿が
レーダー波の反射のように見えるからです。

次兄(73歳)に久しぶりに逢えました。
数年前は、長兄も加わって、M3兄弟そろい踏み、と冷やかされました。

成友会次兄と.jpg

1969年入社で
転籍も含め2013年まで働いていたのですから、計44年間。
いやはや人生の半分以上をこの会社で過ごしたということになりますね。
広報・営業推進部門が長く、
おまけにミュージアムや社史編纂までやってしまったものですから、
建築や土木の先輩たち、同僚と顔を合わせると楽しい会話が続きます。

元気な人しか来られない?というOB会ですが
最後の締めは、
同期の代表取締役Y会長(自分との格差は笑ってしまうほど)。
みんな神妙に聞いておりました。

成友会山内氏小.jpg

成友会会場2.jpg

成友会会場1.jpg

振り返れば、
あっという間の40数年ではありますが、
公私ともにお付き合いのあった方々の
お顔や会話は、確かに自分がこの組織にいたという証でもあります。

元常務のYさんは、私の広報時代の先輩ですが、
「M君の新入社員時代の失敗は忘れられないよなぁ~」と。

歓迎会で酒を飲んで宙返り(元体操部)したあと、ぶっ倒れたこと。
みんなで海水浴へ行くとき、千葉駅ではぐれ、
勝浦へ行くのに、勝山駅で下車して、一時行方不明になったこと。
女性の水着をまとめて持たされたので、海で泳げなかったとブーイング・・・。
そんな忘れたい思い出を、話してくださったYさん(79歳)とのツーショットです。

矢次さんと極小.jpg

ミュージアム時代に
大げんかした役員さん達とも、お話が出来まして
「Mさん、相変わらず血色もよく、お元気ですね。羨ましいですよ・・・」と
先方が気を遣って話しかけてまいります。

あの時は(他人には言えませんが)、
椅子でもぶん投げてやろうと本気で考えた相手なんですが、
年の功なんですかね、私もずいぶんおだやかになりました。

また来年も会いましょうね。
今度は常務さんになっているかな?、それとも専務さんかな?
人はあれよあれよとどんどん偉くなっていきますね。

どうかご自愛を。
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東京ミッドタウンへ 上岡弘和写真展

2年ぶりに東京ミッドタウン(六本木)へ行ってきました。
目的は、写真家・上岡弘和さんの写真展
「日本の屋根付橋PartⅡ」の鑑賞です。

ミッドダウン0.jpg

2年前の前回は連れも一緒でしたが
今回は娘と孫が来ていて大きな公園へ出かけるため私ひとり。
連休に入って初めての一人お出かけゆえ、
その気分の軽いこと・・・。

地下鉄を乗り継ぎ1時間15分で到着した「六本木」駅は
行楽客?観光客?でいっぱいです。
団体客、二人ツアーなど内外のお客さん達で大にぎわいでした。

目指すは
「富士フイルムフォトサロン東京」で開催中の「日本の屋根付橋PartⅡ」。
写真家上岡さんは受付にいたので、お声をおかけしました。

いまも某スパーゼネコンの広報部門に所属しながら
ライフワークの「屋根付橋」を撮っておられますが、
実は、私現役時代に彼と一緒に同じ部門で働いたことがあります。

同社の広報部門には、
建築写真家で知られる増田彰久氏(西洋館建築)、
高井 潔氏(民家)両先生?がおられ、小生はその部下でした。

私の新入社員(46年前)時代は、
レンズカバンや三脚を持って助手のような仕事もやりました。
4×5のテヒニカ(写真館のカメラ)が本当のカメラだと感心しました。
建築写真は、あおらないと建物の上まで撮れませんし、
いまのようなデジカメ時代ではないので、露出もしっかり測ります。
この部門の経験が、
また学んだ感性が退社するまで役に立ちました。

さて、仕事の合間にコツコツと撮りためた作品のうち
今回の写真展では37の作品が掲出されていました。
若い頃の彼を知る私としては、
いろいろな苦労を乗り越えて、よくここまでまとめ上げたと感心しました。

写真展作品リスト20150504.jpg

会場で偶然、元の同僚ご夫妻にも会うことができました。
お嬢さん家族もご一緒です。

ミッドダウン9.jpg

久しぶりでしたので
会場を出てからちょっとミッドタウン内を見て歩きました。
ミッドダウン1.jpg

ミッドダウン2.jpg

ミッドダウン5.jpg

ミッドダウン6.jpg

ミッドダウン7.jpg

ミッドダウン8.jpg

地上入り口にはゴジラが私を見送ってくれました。

ミッドダウン3.jpg

「田舎のネズミ」は、たまに都会に出てくるとやはり疲れます。
歳のせいではなく、生活環境の違いでしょうか・・・。


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護国寺へ(加瀬邦彦さんの葬儀そして思い出)

一昨日午前、
先日亡くなられた加瀬邦彦さんの葬儀にまいりました。
そう親しいという間柄ではありませんでしたが、
私にとってはいろいろな関係から一番身近なミュージシャンでしたし、
お目にかかれるとちょっとお話が出来たやさしい方でした。

加瀬邦彦氏告別式-20150428.jpg

告別式会場の境内にはファン用に専用受付があり、
そこで記帳しましたが葬儀の本会場へは入れません。
別門から入ったところに
手前に焼香テーブルと献花台があり、
その斜め前には大きなディスプレイの車、画面は祭壇。
BGMはワンズの懐かしい曲・・・・。

しばし加瀬さんとの出会いを振り返りました。

私は、六本木・ロアビルの前に
昭和58年(1983)ライブハウス「ケネディハウス」が誕生以来の
客のひとり。この店は、加瀬さんがオーナーでした。
その後、
銀座に「ケネディハウス銀座」が出来た時、
ハウスバンド「スーパーワンダーランド」のリーダーUさんから連絡があり
今度は銀座に通い始めました。
振り返れば、通算で32年ものなじみのお店です。

何度行ったか数えることが出来ません。
たぶん1ヶ月に2度は行っていましたので、単純にかけ算すれば約700回?!
スーパーワンダーランドの演奏はもちろん、
ワンズのステージや加山雄三さんのステージにも幾度も顔を出しました。
子供達が小さいころ、ここでのChristmas Partyにも家族で参加して・・・・。

高校の同級会の2次会をここでやったこともありました。

ケネディハウスギンザ2010.jpg

ある晩、
ワンズのステージでもないのに
思いがけなく、加瀬さんが客席の一番後ろにかけておられる姿があり、
お声をおかけしてちょっとおしゃべり。オーナーさんだから当然か?

私が働いていた会社の株主さんであることがわかって
「上がらないねぇ、このところ・・・」と言われ、どうお返事していいか戸惑いました。

ミュージアムのイベントで
スーパーワンダーランドのみなさんが
格安で演奏していただけたのも加瀬さんのご理解の賜でした。

2006年には、ワンズの武道館公演へも連れと一緒に行きました。

病気のことが原因で、今回こんな悲しい終末に・・・・。
つんくさんのような考え方もできたのではないかと、考えてみたのですが、
ご本人でなければ導き出せない決断であっただけに、本当に残念です。

この日は、
武道館でポール・マッカトニーの公演。
昭和41年(1966)6月のビートルズ日本公演が縁でこの道に進まれた加瀬さん。
その葬儀と重なって何か因縁めいたものを感じました。

リタイヤ後、
ケネディハウスはなかなか行けない場所になってしまいましたが、
私にとっては唯一の「自分の居場所」。
加瀬さんのことを思い出しながら、
これからもからだが動く限り行きたいと願っています。

合掌

ありがとうございました、加瀬さん・・・
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東北さくら旅その2 角館ほか

2日目は、小岩井牧場の1本桜を見たあと
北の小京都と言われる城下町・武家地にある桜見物。
これは見事でした。
この桜、角館のシダレザクラとして天然記念物になっているそうです。

ゆっくりと武家屋敷の通りを散策してきました。

角館1.jpg

角館2.jpg

角館3.jpg

このあと、東北新幹線北上駅乗車の前に
みちのく三大桜名所の「北上展勝地」へ。

この展勝地公園内293haには、
2キロにわたる桜並木、約150種のさまざまな桜が、1万本あるとか。
少しだけでしたが、桜並木を散策しました。

北上1.jpg
こんな大きな木からの小さな枝分かれ。
何かけなげな感じを受けました。

北上2.jpg
これも古木からの枝分かれです。
生きているっていうアピールがありますね。

あたりはだんだんと日が落ちて夕暮れ近く、
北上川も光っていました。

北上3.jpg

このあとバスで北上駅へ。
2日間の北陸さくら旅は、無事終了。
久しぶりの遠出は疲れましたが、桜を堪能した旅でした。

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東北さくら旅その1 弘前城址公園の桜など

連れの段取りで1泊2日の「東北桜旅」を楽しんできました。
4月16日が43回目の結婚記念日だから、と決めたわけではないのですが、
いつもながらこういう旅は、「牛に引かれて善光寺参り」でまいります。

先週がふるさと高田での「高田城址公園観桜会」でしたので
なんと2週続けて桜を見る旅となりました。

団体ツアーに利用するのは、数年ぶりです。
参加者総勢42名。
ツアータイトル
「弘前城・角館・北上展勝地・小岩井1本桜 
一泊二日でめぐる みちのく三大桜」ととても長い名前です。

盛岡までは新幹線はやぶさ号で、
下車後はバス(十和田観光電鉄バス)で弘前に向かいました。

弘前の桜はちょうど見頃、圧巻でした。

弘前城址公園1.jpg

弘前城址公園2.jpg

日本中が天気がいいという22日で、弘前も観光客でいっぱい。
その中で団体旅行のいいところは、
ガイドさんの後ろについて行くだけで、みどころスポットへ行けることですね。
今回の旅は、特に事前の予習もなかったので助かります。

弘前城址公園3.jpg

弘前城址公園4.jpg

このあとバスで安比高原温泉のホテルへ。

温泉があるところの宿に泊まるとき
私は必ず3回おふろに入ります。夕食前、当日寝る前と翌早朝です。
この日も夕食前に入りに行きました。
ですから夕食(豪華なバイキング)に連れ公認?のビールを。

ホテル食事2.jpg

東南アジア(中国語でしたのでたぶん台湾か中国)の団体さんが多く、
私たちの席は包囲状態で、静かな食事となりました。

ホテルの裏はスキー場で、
なんとリフトが動き、遠くには数人のスキーヤーがいました。
もう4月の下旬なのに。

ホテルから裏山.jpg

翌朝ホテルを9時出発、
岩手山(2,038m)を望みながら、バスは走ります。

この山、石川啄木で有名です。

「岩手山 秋はふもとの三方の 野に満つる虫を何と聴くらむ」

「ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」

「神無月岩手の山の初雪の 眉に迫りし朝を思ひぬ」

岩手山.jpg

有名な小岩井牧場の1本サクラは、まだ咲いていませんでした。
残念!

小岩井牧場.jpg


つづく



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恥ずかしながら 2 トークイベント終わる

昨日、福岡耕造さんの写真展イベントに
恥ずかしながら参加、ミュージアムの思い出をお話しました。

会場は恵比寿駅5分のこぢんまりしたいいスペースでした。
1時間前に到着し、
この日ボランティアで運営をされる方2名と打ち合わせ。

予め福岡さんとメールで内容をやり取りしていましたので
あとはぶっつけ本番で臨みました。

翌朝にはfacebookに掲載されていて
眠気が吹っ飛びました。
以下はfacebookからの画像切り取りです。

福岡氏写真展2.jpg

福岡耕造氏写真展facebook1.jpg

福岡氏3.jpg

福岡氏4.jpg

恥ずかしながら、と言っているわりには
よくしゃべっている雰囲気が伝わってまいります(自笑)。

フツーのサラリーマンから
ミュージアム館長への転籍は、大事件でした。
いろいろなことが起こって順風満帆ではありませんでしたが、
いろいろな方々とお知り合いになり、
今回こうしたイベントで話す機会をいただいたことに感謝です。


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春は北陸新幹線に乗って,ふるさとへ  おまけ

2回分の中で、掲載できなかったものを少々。

旅行2日目は、
私たちの43回目の結婚記念日でした。
別にこれに合わせての旅行ではなかったのですが、
いい思い出の旅になりました。

■「高橋孫左衛門商店」

これは、
創業380年の有名な「高橋孫左衛門商店」。
江戸時代から続く、粟飴・翁飴・笹飴などの商品を
創製・販売している、日本で一番古いあめやさんです。
兄の家からわずか3分のところにあり、
子どもの頃からよく知っています。

「粟飴」 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%9F%E9%A3%B4

高橋孫左衛門1.jpg

連れを誘ってお土産を買いに行ったのですが
あいにく定休日。
連れが外で掃除をしている方に声をかけたら奥さんで、
お店を開けてくださいました。
ご主人は同じ高校の先輩でもあります。

高橋孫左衛門2.jpg


■「札の辻」

兄の家に向かうとき見つけたもの。
私のふるさと、上越市(旧高田市)は、
徳川忠輝(家康の六男)の居城で、1614年(慶長19)築かれたもの。
城下町ゆえ、旧市内至るところに昔のなごりがあります。

これもその一つで、藩からのお知らせ?を
庶民に知らせるため主に目を引く十字路に
高札を立てましたようです。

札の辻.jpg

■古い商店

古い街並み.jpg

看板の文字が右から左へ書かれている古い商店。
堀井謄冩版、丸善インキ、メリー万年筆、の登録商標が読めます。
小川文具店さんの建物ですが、とても新鮮に見えました。

古い商店2.jpg

いまどきの若い方には「謄写版」なんて知らないでしょうね。
ガリ版といった方が、ある年代からは懐かしく思い出すでしょう。
元祖はエジソンでしたが、
いまのかたちにしたのは、
1894年(明治27)、日本人の堀井新治郎父子だったそうです。
うんちくをひもとくとなかなかおもしろいです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AC%84%E5%86%99%E7%89%88

電気などがない地域のアフリカやアジアの小学校などでは
いまでも多く使われている、という記述に感心しました。

子どもの頃には気がつかなかった
城下町のなごりを訪ねる旅もなかなかいいものだと思ったのですが、
もはや too late かも・・・。
いっぱい解説本はあるし、郷土史家の先生もおられますからね。




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春は北陸新幹線に乗って、ふるさとへ その2

2日目は、そもそもこの格安ツアー切符の目玉
「高田城址公園観桜会」の目的を果たすために、公園に向かいます。

途中、連れが酒好きの友達に送りたいから、といって
有名な酒屋さんへ。
連れはまったくお酒が分かりませんので、「雪中梅」を勧めました。
酒屋.jpg

道を歩いて行くと連れが立ち止まります。
「何なのこれ?えっ、消火栓?」と声を出します。
背の高い消火栓.jpg
高田は都市部でも有数の豪雪地帯(2m以上の降雪)ゆえ、
道路脇の消火栓も背が高いのです。

子どもの頃から親しんだ「高田城址公園」にやってきました。
高田城址公園1.jpg

高田城址公園2.jpg

桜はすでに葉桜が始まり、
最盛期ではありませんでしたが、約4,000本の桜の木々はやはり壮観です。
高田城址公園3.jpg
高田城址公園4.jpg

お花見は会期を3日残していましたが、
盛りは過ぎていて、あたり一面濃いピンクという様子ではないものの
たくさんの観光客でにぎわっていました。

帰り道、私の卒業した大手町小学校へ。
大手町小学校.jpg
この学校も140年近くの歴史がある古い小学校です。

実はこの学校の前に開業しているパン屋に同級生がいて
もう60年近く会っていなかったのですが、思い切ってお店の方にたずねました。

「私、ここのご主人と小学校の同級生なんですが、
まだK君は生きていますかね?」

「社長ですか?、ちょっとお待ちください。」

店先から見える奥の仕事場の老人?に声をかけ
彼が出てきました。

「オレ、仲町2丁目敷島湯のMだけど・・・」

「ああ、Jちゃん!久しぶりだね・・・・」

K君宅は
ご家族でうちのお風呂のお客さんでもあったので、
お互いよく覚えていました。
あっというまに小学時代に戻り、立ち話で15分も話をしてしまいました。
息子さんも後を継ぎ、
洋菓子で有名な店を切り盛りしているとのこと。
お互い歳を取りました・・・・。

次に高校で一緒、
東京の学生寮でも一緒でだった写真館を営むK君宅へ。
予め電話をしたのですが、
名前を言っても一瞬分からなかったそうです。
彼と会うのも5,6年ぶりです。

私の娘と息子が小さいとき、ここで写真を撮ってもらいました。
奥さんとは何十年ぶりですが、話が止まらず1時間もお邪魔に。
途中で兄から昼ご飯の電話が入り、残念でしたが話は終わり。

彼の店の前で私と連れ。
鹿野写真館前で.jpg

帰りは、高田駅まで兄に送ってもらい、二駅目の上越妙高駅へ。
上越妙高駅サイン.jpg

バタバタと動き回った2日でしたが、
北陸新幹線での初旅は、滞りなくすべての予定を終えました。
北陸新幹線はくたか.jpg

前にも増して
だんだんとふるさと高田が遠くなるような感じがします。
学生時代、上野駅から信越本線に乗り、
妙高を過ぎた頃から胸が高鳴った思いはもうありません。
ちょっとさみしいですね。

今度は金沢まで一気に行ってみたいものです。
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春は北陸新幹線に乗って、ふるさとへ その1

先日、今年.80歳を迎えた姉の病気見舞いで
連れともどもふるさと、高田へ帰ってきました。

その時の様子を2回に分けてご報告します。

電車は、
3月14日開通の北陸新幹線で下車駅は「上越妙高」駅。

上越妙高駅.jpg

高田の名前がなくなったのは、本当に残念!
いまだに上越市(昭和46年高田市と直江津市が合併)の名前に
やや違和感を感じているのに・・・・。

もちろん高田駅は、
えちごトキめき鉄道(株)の駅として残っているけど。
1時間に2本という本当のローカル線駅になってしまいました。

今度の旅は、
いろいろな事情から直前に決まり、
それもきっぷとホテルがセットの超廉価(2万)。
これまで帰省するたびに
長兄の家にお世話になっていた私でしたが、
生まれて初めて自分の街でホテルに宿泊ということに。
兄や義姉からは、
そんな他人行儀なことを、と言われましたが、
なぜかホッとする安堵感。

泊まったホテルは、
駅前の本町5丁目角にある「Hotel Lung wood Jouetsu」

ホテル.jpg
子どもの頃にあった
高田ただ一つのデパート「いづも屋」のあとにできたホテルの3代目。

ホテル10階の窓からは、
子どもの頃から親しんでいる南葉山(上越市と妙高市にまたがる949m)。
ホテルから南葉山.jpg

2日目の朝食は1階のレストランのバイキングで
今回は宿泊と朝食セット料金でしたが、単独だと1,200円とのこと。
ホテル1Fレストラン 朝食.jpg

ホテルに着く前に
兄が上越妙高駅まで迎えに来てくれたのですが、
私が4歳まで育った
旧中頸城郡和田村大和地区のある場所に連れて行ってくれました。
そこは上越市今泉にある大和神社。
現在の神社は昭和16年(1941)に建て替えられたのですが、
その請負人が父であったという証拠の石碑があったのです。
大和神社1.jpg

確かに父の名前が刻まれていました。
大和神社3.jpg

私たち兄弟3人とも同じ建設会社に進んだルーツがここにありました。
父が遺してくれたメモリアルな建築物です。

古い社の前で。
大和神社2.jpg

施設にいる姉は、いっときよりかなり顔色もよくホッとしました。
12歳も離れているので、姉は私をおぶって子守りをさせられたとのこと。
よく泣く子(私)だったので、頭にきて足をつねったこともあったとか。
30分ほどで帰ってきました。

そのあと
久しぶりに高田の街を歩いてみました。
年々寂れた感じを受けるのですが、こんな看板を見てびっくり。
空き店舗巡り.jpg
なんと不動産屋さんの降りたシャッターに
「空き店舗巡りツアー」の看板が・・・・。

以前家業の風呂屋をやっていた場所は、
昭和46年廃業したあと43年たってもまだ更地で、駐車場になっていました。
敷島湯あと.jpg

その家の脇を流れている儀明川はそのままです。
儀明川.jpg

夜は兄の家でご馳走になりました。
日頃は飲めないお酒も
連れの目を気にしながらビール4,5杯をいただくという至福の時間。
9時前に、お礼を言ってホテルに戻ったのですが、
何だか申し訳ない気持ちもありました。

続く


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恥ずかしながら

ビートルズのいた場所を撮るので有名な
カメラマン・福岡耕造さんの個展でのイベントに
お誘いを受け参加することになりました。

http://americabashigallery.com/exhibitions/

Facebookに予告してので、というメールを読んで
さっそくクリックしてみたら・・・・
福岡さんの写真展イベント.jpg

https://www.facebook.com/pages/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E8%BF%BD%E6%86%B6%E3%81%AE%E6%97%A5%E3%80%85/1568805496723654?sk=timeline

いやはや・・・。
これは、6,7年前の写真ですね。
毎日が”Love & Peace”の至福?の時間でしたが、
いろいろな思い出がよみがえります。
閉館してもう5年もたっているのに、「元」で人前に出るのは恥ずかしい・・・・。
でも開館中はなにかとご支援いただいたので、そのお礼で。

タイトルがちょっと刺激的なのでそのことをお伝えしたら
「派手な方が・・・・」とのこと。

「真実!」は特にない、と申し上げたら、
「もちろん話せる範囲でけっこうです!」と
すぐにお返事をいただきましたので、実のところホッとしました。

「ジョンやリバプールに魅せられて行く話やリバプール取材時の話など」
ということになって一安心です。

当日はとくに原稿は用意せず、
MCの福岡氏に問われるまま(当然言葉には気をつけて)
懐かしい思い出話をいたしましょう。





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ご無沙汰の期間中でのこと

3月中旬より、
施設スタッフや責任者への導入研修、
新入社員への研修などでバタバタと過ごし、
すっかり更新作業が滞っておりました。

東京だけでなく静岡、沼津、山城(京都)まで
久しぶりに東奔西走の毎日で、気力も低迷・・・。
いまようやく峠を越えてホッとしている毎日です。

この間の出来事を少しアップします。

●孫たちがババさまと雪遊びツアーに参加。

場所は湯沢。
まとまった雪など見たことのない孫たちは大喜びだったとのこと。
雪遊びツアー3.jpg
雪遊びツアー8.jpg

夜には一人前?にカラオケも楽しんだ様子です。
雪遊びツアー7.jpg

■25年以上前の写真を偶然発見。
昔日経金融新聞にシリーズで企業広告を載せた際、
スタジオで遊びで撮ってもらった本格的?な私の写真。
40代の頃 日経金融新聞撮影後.jpg

モデルさんも仕事を終え、
片付け始めたスタジオでカメラマンの甘い一声にのせられてパチリ。
まさに仕事もプライベートも絶好調時代の私がいます。
これからまもなく企業内失業となる身でしたが、
いまも少しは面影は残っているでしょうか?

■これも写真を整理しているとき見つけたもの。
ジョンの少年時代.jpg

ジョン・レノンの卒業した小学校に残されていた
その学校出身の有名人をとりあげた新聞のコピーです。
2005年にリバプールへ取材に行ったとき
校長先生から写しをいただきました。
写真左から2番目矢印の少年が10歳くらいのジョンです。
まだまだフツーの少年です。

そういえば
知人の写真家・福岡耕造さんの
写真展「ビートルズ追憶の日々」(東京・恵比寿アメリカ橋ギャラリー)が
4月22日から開催されるそうですが、
5月4日までの開催期間中、何か話をして欲しいと言われ、
気軽にお返事したものの、だんだん気が重くなってきています。

ミュージアムは閉館してもう5年が経ちましたが、
ジョンとヨーコはいまも私の心の中で偉大な存在です。
恐れ多くて・・・・・。
言葉を十分選ばねばなりません。

■校友会東京支部の総会準備に
同級生に渋谷に集まって貰うため、集合場所確認で
久しぶりに渋谷へ行ってきました。

「渋谷ヒカリエ」2階エントランスを集合場所に、と考えたものの
はたしてすんなり来られるかどうか、
それで、
JR渋谷駅東口からの導線を写真に収めて資料を作りました。
もう東京に長く住んでいるんだから分かるでしょう?と
連れは申しますが、少しでも迷わないために・・・・。
ヒカリエ案内.jpg

幾つになっても興味のないところへはまいりませんから
「ハチ公前」でなく、屋内のヒカリエ入り口にいたしました。
はたして68,9歳の同級生は、まっすぐここに来られるでしょうか?




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研修講師再デビュー

12月から地元の環境会社で
研修顧問として働き始めましたが、
テキストの再編集の仕事が一段落し、いよいよ本番が始まりました。
と言っても、
まだビギナーゆえ、実際に受け持つのは、ほんの一部です。

この研修の目的は
指定管理者事業施設での新人スタッフ(施設責任者や清掃ほか担当者)に
この会社の経営の考え方、仕事の仕方・心構え、
チームワークやコミュニケーションスキルを教える導入研修で、
今週は3回行いました。

担当する施設は、
関東地区だけでなく長野、新潟、山梨などの遠隔地もあり、
施設長さんの研修には京都からもお越しいただきました。

新人スタッフ研修20150319.jpg

圧倒的に私と近い世代ゆえ話はしやすいのですが
それでもいろいろな人生経験をお持ちの受講生さんにお話しするのは
いささか緊張いたします。

前の会社での研修講師歴35年の研修経験では、
それぞれの職場は違っても
同じ建設の世界に働いてきた方ばかりでしたが、
今回は企業風土も違うところでのお話ゆえ、しゃべり方も気を遣います。

それでも、
今回わずかな私の担当箇所(仕事の仕方)は、
いつもの私のキャラがまぁまぁ発揮できたと思いまます。

新人スタッフ研修2 20150319.jpg

継続で仕事をされる方が一番大変でしょう。
これまでの会社のやり方と仕事そのものは変わらずとも、
「お客様第一」をモットーに、
かつ「原価意識:」を鮮明に働いていただくわけですから。

一番楽なのは、
同じメンバーで何も変わらず、いつもの気分でやれることですが、
私たちが、ステージが変わり新しいキャストで、と言っても早々変わらない・・・・。
ここを素直に大人の振る舞い?で
馴染んでいっていただかなければなりません。

お昼を挟んで約7時間の集中講義が終わりました。

私は、この新しいスタッフの皆さんの門出での記念にと写真を撮りました。
休日自宅で数十枚を焼きながら、
どうか4月から新しい気持ちで働いていただきたいと願いました。
この写真は、
4月に入る前、各施設のスタッフの皆さんにお届けするつもりです。

これもこの会社に対する親しみ感を持っていただく機会だと思います。

新人スタッフ研修3 20150319.jpg

明日からは4日間、
静岡、沼津、京都の各施設での出張研修へまいります。
このうち半分はひとりでやらねばならずいささか心細いのですが、
100点は取れずとも80点には到達出来るよう一生懸命取り組みます。
旅での出来事はまたあとでアップしたいと思います。

明朝は7時の新幹線に乗るため、
5時前に起き、5時半には家を出なければなりません。
心配で眠れないかも・・・。


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